2010年11月13日

トラウマと私 21

やよい先生が口元まで持っていっていた、ケーキの欠片を刺したフォークが空中で止まりました。
「えっ?」
私の顔をまじまじと見つめながら、やよい先生がかすかに首をかしげます。

「あ、ご、ごめんなさいっ!突然すごく失礼なことを聞いてしまって、ごめんなさい、ごめんなさいっ!」
私は、あわてて何度もペコペコお辞儀しながら、必死に謝ります。
やよい先生を怒らせちゃったかな・・・・

うつむいている私は、上目使いでおそるおそるやよい先生を見てみました。
やよい先生は、止まっていたフォークをゆっくりと口の中に運び、しばらくモグモグした後、フォークをお皿に置いてニッコリ微笑みました。
「あなたが謝る必要は無いわよ。いきなり思いがけないことを聞かれたから、少しビックリしただけ」
「失礼なこと、でもないわ。だって、それは本当のことだから。答えはイエスよ」
やよい先生は、そう言うと私に向かってパチンとウインクしました。

「でも、森下さん?あなた、誰にそれ、聞いてきたの?」
「は、はい・・・それは・・・」
私は、曽根っちから聞いたお話をほとんどそのままやよい先生にお話しました。

「なるほど。そういうワケだったのね。ナカソネさんね、覚えてる。あの子もけっこうスジ良かったけど・・・そう、今はレイヤーやってるの・・・」
懐かしそうに遠くを見る目付きになっています。
「それで、川上さんが、みんなに広めないように、って言ってくれたのね。あの子もいい子よね。あなたとずいぶん仲がいいみたいだけど・・・」
「でもね、あたしは別に隠すつもりもないの。まあ、かと言って自分からみんなに宣伝することでもないけどさ」
やよい先生がクスっと笑いました。
「そのとき一緒にいたのは、今のところあたしが一番大好きなツレ。でも先週いろいろあって、今ちょっと喧嘩中・・・」
やよい先生のお顔がちょっぴり曇ります。

やよい先生は、コーヒーを一口啜ると、あらためて私の顔をまっすぐに見つめてきます。
「だけど、私がビアンなことが、あなたの悩みに何か関係あるの?」
少し眉根にシワを作って怪訝そうなお顔です。
私は、そのお顔を見て、ズキュンと感じてしまいました。
すごくセクシーなんです。

「あ、は、はい・・・いろいろと関係していて、そのお話はまだまだ入口のところなんです・・・うまくご説明できるかわからないんですけど・・・」
なぜだかうろたえてしまった私は、すがるようにやよい先生を見つめてしまいます。
「ふーん。長い話になりそうね・・・」
やよい先生は、しばらく宙を見つめて何か考えるような素振りでした。

「ねえ?あなた、門限あるの?」
何かを思いついたらしく、一回うなずいてから、やよい先生が明るい声で問いかけてきました。
「えーと、とくには決まってません・・・バレエの日なら、7時くらいまでには帰ってますけど・・・」
「森下さんのお母さま、あたしも何度かお会いしたけど、やさしそうなかたよね?」
「はい・・・」
「あなたのお母さま、話がわかるほう?」
「えっ?うーんと、そう・・・そうだと思いますけど・・・」
「あなたの家の電話番号教えて」
私は、何をするつもりなんだろう?と思いながらも、家の電話番号を教えました。
やよい先生は、私が数字を告げるのと同時に自分のケータイのボタンを押していきます。
最後の数字を押し終えると、ケータイを自分の耳にあてて立ち上がり、スタスタとお店の入口のほうに歩いて行きました。
席に一人、取り残された私は、ワケがわからず、疑問符をたくさん頭の上に浮かべたまま、半分になったケーキをつついていました。

三分くらい経って、やよい先生がテーブルに戻ってきました。
「交渉成立。あなたと夕食一緒に食べに行っていいって、あなたのお母さまにお許しをいただいたわ。次の課題曲を決めるんで、少し込み入った話になるから、って嘘ついちゃったけど」
やよい先生は、ニコニコしながら私の前に座り直して、コップのお水をクイっと飲み干しました。
「さあ、あなたもそのケーキ食べちゃって。そしたら、このお店出て、あたしのお気に入りのお店に連れていってあげる。そこでゆっくりお話しましょ」
「あ、それから、ここ出たら、あなたからもお家のほうに電話入れるようにって。あなたのお母さま、キレイな声してるわね」
やよい先生、なんだかすごく楽しそうです。
私は、残りのケーキをモグモグと大急ぎで口に入れ、冷めたレモンティーで流し込みました。

お店から出ると、やよい先生がちょこっとケータイを操作してから私に渡してくれました。
私はそれを耳にあてて、やよい先生から少し離れます。

母は、やよい先生にご迷惑をおかけしないように、ってしつこく言ってから電話を切りました。
「お母さま、何だって?」
「はい。帰るときになったらもう一度電話しなさいって。今日はホームキーパーの人が来ているので家を空けられるから、帰りは、母が駅まで車で迎えに来てくれるみたいです。それから、先生にくれぐれもよろしく、とのことです」
「ふーん。森下さん、大事にされてるねえ」
やよい先生が冷やかすみたいに笑って言います。
私は少し恥ずかしい感じです。

やよい先生が連れて行ってくれたのは、バレエ教室があるほうとは駅を挟んで反対側の出口のそば、大きな雑居ビルの地下にある、洋風の居酒屋さんみたいなお店でした。
「うーん。さすがにそのブレザーじゃちょっとマズイかなあー」
お店の入口を通り越して立ち止まり、やよい先生が学校の制服姿の私を見てそう言ってから、自分のバッグの中をがさごそしています。
取り出したのは、薄でのまっ白いロングパーカーでした。
うっすらと何かローズ系のパフュームのいい香りがします。
「そのブレザーは脱いで手に持って、このパーカーを着てちょうだい。それと、もちろん、あなたにはお酒、飲ませないからね」
やよい先生は、私が着替えるのを待って、お店のドアを開けました。

「このお店はね、個室みたいに各テーブルが完全に仕切られているから、内緒な話にはうってつけなのよ。それとラブラブなカップルにもね」
席に案内されるのを待つ間、やよい先生が私の耳に唇を近づけて、こっそりという感じで教えてくれました。
やよい先生の息が私の耳をくすぐって、ゾクゾクっと感じてしまいます。

メイド服っぽいカワイイ制服を着たウェイトレスさんに案内された席は、四人用らしくゆったりしていて、三方が壁で仕切られていて、入口の横開きの戸をぴったり閉めてしまえば完全に個室になります。
ウェイトレスさんを呼ぶときは、テーブルに付いているチャイムを押せばいいみたいで、これなら確かに誰にも邪魔されずにゆっくりできます。

「このお店はね、けっこう本格的なイタリアンなの。何か食べたいもの、ある?」
メニューを熱心に見ていたやよい先生が、メニューから顔を上げずに、もの珍しそうにまわりをキョロキョロしている私に声をかけてきます。
「いいえ、こういうとこ初めてなんで、先生にお任せします」
「あなた、何か食べられないものとかは、ある?」
「あ、いえ、なんでもだいじょうぶです」
「それなら、あたしがテキトーに選んじゃうわよ」
やよい先生はチャイムを押して、現われたウェイトレスさんに、サラダとスープとパスタとあと何かおつまみみたいなものをテキパキと注文していました。

ウェイトレスさんが去って、私とやよい先生は二人きり、テーブルを挟んで向き合います。
「先生は、このお店、よく来られるんですか?」
「よく、ってほどじゃないけどね。他の先生たちとたまあにね。こうして座っちゃえばもう、まわりを気にしないでいいし、あたしは気に入ってるんだ。味もいいほうだと思うよ」
そんなことを話していると、戸がトントンとノックされ、さっきのウェイトレスさんが飲み物を持ってきてくれました。
やよい先生は白ワインをデカンタで、私はジンジャーエールです。

「はい、それじゃあとりあえずお疲れさま。カンパーイ」
やよい先生のワイングラスと私のカットグラスが軽く触れ合って、チーンという音が室内に響きました。


トラウマと私 22

0 件のコメント:

コメントを投稿