2016年2月14日

オートクチュールのはずなのに 37

 翌日は、明後日に迫ったイベントのゲネラールプローベ、つまり、最終の通しリハーサル。
 チーフと早乙女部長、そして企画開発部のおふたりは、午前中から小石川のアトリエへ直行されました。
 営業部のおふたりは出張中で、ほのかさまだけ、お昼頃にオフィスへ戻られるご予定、間宮部長さまは直帰。
  したがって、ほのかさまがいらっしゃるまで、オフィスには私ひとりきりでした。

 朝、出社してすぐ、デザインルームのドアの前へと直行しました。
 昨日、あんなことがあったお部屋が、どんなふうになっているのか、一目見てみたかったからです。
 ドアノブに手を掛け、ノブを回しながら手前にそっと引いてみました。
 やっぱり思っていた通り鍵がかかっていてドアは開かず、デザインルームの内部を覗き見ることは出来ませんでした。

 それからメインフロアをひと通り見回りました。
 電話機とパソコン以外、余計なものは何ひとつ置かれていない、早乙女部長さまの広々としたデスク。
 塵ひとつ落ちていない、ついさっき磨き上げたようにピカピカなリノリュームの床。
 他のデスクもロッカーも、まったくいつもと同じで、各デスク脇に置かれたトラッシュボックスは、すべて空っぽ。
 昨日、私がオフィスを出てからくりひろげられたであろう、部長さまと絵理奈さまによる秘め事の痕跡は、何ひとつ残されていませんでした。

 そこまで確認してから、各窓のロールカーテンを上げました。
 ひとつ上げるたびに、どんどん明るくなる見慣れた室内。
 今日は良いお天気。
 広すぎるくらいの大きな窓一面に、青い空と薄いうろこ雲が広がっていました。

 昨夜のオナニーは、ずいぶんエスカレートしてしまいました。
 最初は、部長さまと絵理奈さまの会話を思い出しながら、それを再現する程度だったのですが、しているうちに、自分がしてしまった行為、すなわち盗聴という浅ましい行為に対する罪悪感と嫌悪感が、心の中でどんどんふくらんできました。

 そんな卑劣なマネをする社員には、徹底的なお仕置きが必要ね。
 私の中のもうひとりの私が、絵理奈さまの声色を借りて、おっしゃいました。

 久しぶりに麻縄で自分のおっぱいをギチギチに絞り出し、洗濯バサミをからだ中に噛ませました。
 両足首に棒枷、マゾマンコとお尻にはバイブレーター、クリトリスにローター、右手にローソク、左手にバラ鞭。
 マジックミラー張りのお仕置き部屋で夜が深く更けるまで、延々と自分を虐めつづけました。
 頭の中では、イヤーフォン越しに聞いた早乙女部長さまのあられもない悩ましいお声が、ずっとずっと、鳴り響いていました。

 早乙女部長さまと絵理奈さまのことは、誰にも言わない、と心に決めました。
 知ってしまった経緯が個人的にも社内的にも後ろめたいものですから、お姉さまにだって言えるはずもありませんけれど。
 一方で、今まで早乙女部長さまに抱いていたイメージが、大きく変わってしまったのも事実でした。
 今日はお見えにならないけれど、次に部長さまにお会いしたとき、私、普通でいられるのかしら?

 お昼ちょっと過ぎにほのかさまが出社してこられました。
 イベントでお客様にお配りするパンフレットやリーフレットを、会社の封筒に詰める作業をしながらおしゃべりしました。

「今度のイベントって、何人くらいのお客様がお見えになるのですか?」
「そうねー、身内っぽい人たちを除くと4~50人、ていうところかしら」
 少し小首をかしげて、可愛らしくお答えくださるほのかさま。

「身内っていうのは、たとえばシーナさんとか愛川さんとか、よくうちにお手伝いにいらしてくださる方々ね。あとスタンディングキャットの人たちとか」
 あの男のひとたちも、身内なんだ・・・

「だから、社員も含めて総勢6~70名っていうところかな。おかげさまで年々増えているの」
「お客様っていうのは、やっぱりお取引先さまとかなのですか?」
「うーん、この夏前のイベントっていうのは、少し特殊でしょ?誰でも呼べばいい、というワケではなくて、なんて言うか、こちらでも選んでいるのね」
 ほのかさまが、少し困ったようなお顔で、考え考え、説明してくださいました。

「ご披露するアイテムが特殊だから、そういう方面にご興味をお持ちの方々だけにご案内しているの」
「具体的に言うと一番のターゲットは、映像関係のお仕事に絡んでいるタレントさんに付いているスタイリストさんたち。映画やビデオ関係のお仕事ね」
「あと出版とか広告業界で、とくにファッション関連に従事されているデザイナーさん」
「プロダクションに所属されていたり、フリーだったり、いろいろ。カッコイイかたたちばっかりよ」
「もちろん、そういうものも扱っているアパレルの問屋さんやバイヤーさん、小売さんも来るけれど、一番お仕事につながるのは、スタイリストさんたちかな」

「あと、個人的なご趣味で毎回何かしらご注文くださる、個人のセレブなお得意さまもいらっしゃるわね」
「扱うアイテムが、ああいうデリケートなものだから、お客様集めにもけっこう気を遣うのよ。基本的に女性しか誘わないし、もし間違って、男性がいらしても入場出来ないから。あ、スタンディングキャットの人たちは例外ね」
 ほのかさまがお困り顔のまま、小さく微笑みました。

「実は私、開発のリンコさんたちから、すごくキワドイアイテムばっかり、ってお聞きはしているのですが、実際どんなのか、まったく知らないんです」
「あら、そうだったの?じゃあ、このパンフの中身もまだ見ていないんだ?」
「はい。どうせならまったく情報を入れずにイベントに臨んだほうが、絶対数倍楽しめる、ってリンコさんたちに勧められて」
「ああ。それはそうかも。それなら直子さん、パンフは広げてはだめよ。明日までおあずけね。きっと当日びっくりしちゃうから」
 イタズラっぽくおっしゃったほのかさまが、意味深な含み笑いで私を見つめました。

「そう言えば、ほのかさんは、デザインルームの中へ入ったことは、あるのですか?」
 朝からずっと気になっていたことがつい、口をついてしまいました。

「もちろんあるけれど、それが何か?」
「あの、いえ、私、ここに入ってから一度も、あのお部屋に入ったこと、ないんです」
「えっ?そうだったの?」
「はい。入社前の面接で、あ、みなさまがいらっしゃらないときに、ここでしたのですけれど、あのお部屋には無断で入ってはいけない、ってチーフがおっしゃってから、一度も・・・」

「ふーん。そうなの。なぜなのかしらね?別に普通のお部屋よ。いかにも、開発の現場、みたいな感じで、いくぶん散らかってはいるけれど」
「どんな感じなのですか?」
 興味津々、知らずに身を乗り出してしまいます。

「そうね。ミサキさんの立派なパソコンと周辺機器一式がデンとあって、リンコさんが使うミシンとかお裁縫用具が棚に整理されていて・・・」
「中は外からの見た目より意外と広い感じなの。デスクには何かアニメのキャラクターらしい美少女フィギュアが飾ってあったりして・・・」
 少し上をお向きになり、思い出すようにポツリポツリ教えてくださるほのかさま。

「そうそう。お部屋の奥のほうはウォークインクローゼットみたいに、サンプルのお洋服がズラーッとハンガーに架けて並んでるの。今まで作ったアイテムね。あと、等身大の、とてもリアルな女性のマネキンと、トルソーも4体くらいあったかな。奥は、倉庫みたいな感じね」
「そんな感じかな。別にチーフが直子さんに見せたくないものなんて、あるとは思えないけれど・・・」
 そこまでおっしゃって、ほのかさまが何か思いついたようなお顔になりました。

「ひょっとしたら、これが理由なのではないかしら。直子さんがチーフの面接を受けたのって、4月の初め頃よね?」
「はい」
「ちょうどその頃、今度のイベントでメインになるアイテムの開発真っ最中だったの。それは本当に、とてもキワドイデザインなの。普通の人だったら、まず着たいとは思えないくらい」
 苦笑いみたいな表情を浮かべたほのかさま。

「そのデザインの試行錯誤中だったから、きっとデザインルームに、その試作サンプルがたくさん飾ってあったはず」
「チーフは、それを直子さんに見せたくなかったのかもしれないわね」
「だって、これから入社しようっていう人に、いきなりそんなえっちなお洋服見せたら、呆れて逃げ出しちゃうかもしれないもの、ね?」
 愉快そうに微笑まれるほのかさまを、まぶしく見つめました。

「そのお洋服も、明後日のイベントでお披露目されるのですか?」
「うん。もちろんよ。モデルの絵理奈さんが、きっと物凄くセクシーに着こなしてくださるはずよ。直子さんも、楽しみにしていて」

 ほのかさまのお口から、絵理奈さん、というお名前が出たとき、私の心臓はドキンと波打ちました。
 一瞬、昨日の出来事を何もかも、ほのかさまにお話しちゃいたい衝動に駆られました。
 でも、なんとか我慢して、その後は当たり障りのないアニメや音楽の話題などで、楽しくおしゃべりして過ごしました。

 その翌日は、イベント会場設営の日。
 珍しく午前中に、社員スタッフ全員がオフィスのメインフロアに集合しました。
 ものすごくお久しぶりな間宮部長さまは、私の顔見るなり駆け寄ってきて、ギュッとハグしてきました。

「うわー。久しぶりー。相変わらずナオちゃんは可愛いねえ」
 私の髪をクシャクシャしながら、満面の笑みで見つめてくださいました。

「ほのかに聞いたよ。ナオちゃん、みんなの前でバレエ踊ったんだって?ワタシも見たかったなー」
「あ、いえ、そんなたいしたものでは・・・」
 やわらかいおからだにグイッと抱き寄せられながら、ドギマギしちゃう私。

「ワタシだけ見れないなんてズルイじゃない?そうだ。イベントが終わったら打ち上げで、踊って見せてよ。これは部長命令ね」
 ご冗談めかしておっしゃる間宮部長さまを、ほのかさまが嬉しそうに見つめていらっしゃいました。

 早乙女部長さまは、いつものようにご自分のデスクで、パソコンをあれこれ操作されていました。
 横にお座りになったリンコさまとミサさまと、パソコンのモニターを指さしながらなにやら小声でご相談されています。
 いつものようなポーカーフェイスで、いつものように凛々しく優雅に。
 一昨日、私が耳にした会話は全部、私の妄想がもたらした幻の空耳だったのではないかと思っちゃうくらい、いつもの気品溢れる早乙女部長さまでした。
 そんな早乙女部長さまを横目でチラチラ窺がっていると、チーフが私の横にお座りになりました。

「決算終了、ご苦労様。森下さん」
 ちょっとわざとらしいくらいのお声でそうおっしゃってから、私の右耳に唇を近づけられ、コショコショつぶやかれました。

「チョーカー、似合っているじゃない?直子。それをずっとしてるっていうことは、ずっとムラムラなのね?」
 それから、私が開いていたノートパソコンのキーボードに右手を踊らされ、素早くメモ帳を開いて素早くタイピングされました。

「イベントが終われば時間空くから、この週末はたっぷり虐めてあげる」

 スクッと立ち上がったチーフの後姿が社長室のドアの向こう側に消えるまで、ボーっと眺めていました。
 消えてからは、目の前の、たった今チーフがタイピングされた文字列を何度も何度も読み返しました。

 イベントが終われば、私のお姉さまが私の元に戻ってくる。
 大型連休以来、待望のふたりだけの時間。
 今度は、どんなご命令で虐めてくださるのだろう。
 そう言えば、社長室に飾ってあるピンクの鞭も、お姉さまから使われたことはまだなかったのだっけ。
 イベントが終われば、休日にまで出社してオフィスにこもるスタッフもいなくなるだろうから、このオフィスで虐めて欲しい、ってリクエストしてみようか。

 チラッとまた、早乙女部長さまを盗み見ました。
 部長さまと絵理奈さまの淫靡な会話が、頭の中によみがえります。
 私にだって、お姉さまがいるもの。
 ああん、早く明日が来て、早く明日が終わって、早く週末になればいいのに。

 お昼は、みなさまとご一緒に仕出しのお弁当をいただき、午後からはいよいよイベント会場の設営開始。
 イベント会場は、このオフィスビルに隣接されている多目的ホール7階にあるレンタル会議室の一室。
 本番は明日ですが準備のために、今日、明日と二日間借り切っているのだそうです。

「お手伝いの人たちには、午後1時に現地集合って伝えてあるから、そろそろ移動しましょう」
 早乙女部長さまの号令で、スタッフ全員立ち上がりました。
 だけど、ここでも私はお電話番でお留守番。

「イベント間近は、ご招待客からの確認電話がけっこうあるからね。今日、東京来て一泊する地方の方も多いし。しっかりお留守番、頼むわよ」
 オフィスを出て行く直前に、念を押すようにチーフがおっしゃいました。

「2時開場、3時開演、5時終演、6時まで商談会。打ち上げパーティは7時から隣接のホテルの宴会場、会費無料。聞かれたら間違えないでね」
「電話さえしっかり受けてくれれば、あとはマンガ読んでいようがネットサーフィンしていようが、かまわないから」

 チーフにポンと肩を叩かれ、それを聞いたミサさまは、わざわざデザインルームに戻り、大学のオタクサークルが舞台のコメディマンガ単行本を10数冊、私のデスクの上に積み上げてくださいました。
 でもこのマンガ、私、全巻持っているのですけれど・・・

 ときどき電話を受ける以外は、この週末、お姉さまにどうやって虐めていただくかばかりを考えて過ごしました。
 
 オフィスでするとしたら、あの面接のときみたいになるのかな?
 出来ればデザインルームにも入れてもらって、ほのかさまがおっしゃるところの、私が呆れちゃうくらいえっちなお洋服っていうのも着せてもらいたいな。
 それに、やっぱりオフィスの中だけではなく、連休のときみたいに、お外にも恥ずかしい姿で連れ回してもらいたいし。

 でも、そうなると池袋の街ということになるから、変装しなくちゃいけないかな。
 私はいいけれど、お姉さまにとって大事なお仕事の拠点なのだから。
 だったらウイッグも用意しておかなくちゃ。
 確かシーナさまが純さまのお店で買ってくださった、ショートボブのがあったはず・・・
 妄想はとめどなく溢れ出て、今からそのときが愉しみでたまらなくなっていました。

 5時を過ぎたら転送電話に切り替えて合流なさい、と言われていたので、5時過ぎに戸締りをしてオフィスを出ました。

 週末が一番の愉しみでしたが、明日のイベントもやっぱり楽しみでした。
 社員のみなさまがお口を揃えてキワドイとおっしゃるアイテムを、50人以上もの人の前で、あの華やかな絵理奈さまが身に着けて、ご披露するのですもの。
 
 そういうのって、どんな気持ちになるのだろう・・・
 他人事ながらワクワクドキドキしちゃいます。
 エレガント・アンド・エクスポーズ。
 一体どんなに恥ずかしい衣装なのだろう・・・

 エレベーターを乗り継いで、会場のある7階フロアにたどり着きました。
「あっ、ナオっち、おつかれー」
 目ざとく私をみつけてくださったリンコさまがお声をかけてくださいました。

 会場の出入り口ドアとなるのであろう周辺には、見慣れない人たちがガヤガヤとたむろされ、その奥にリンコさま。
「もう大体飾り付けも終わったから、中へ入ってみればー」
 大きなお声で私に手招きくださっています。

 入口にたむろされている方々は男性が多く、その数5~6名くらい。
 なんとなく見覚えがあるお顔も見えるので、おそらくスタンディングキャット社からの助っ人の方々なのでしょう。
 ということは、このかたたち、全員ダンショクカさん?
 モジモジしつつ、リンコさまのほうへ近づいていきました。

「あ、一応紹介しておくね。明日のイベントのお手伝いをしてくださるスタンディングキャットのみなさん。橋本さんと本橋さんには前に会ったことあるのよね?」
「は、はい・・・」
 見覚えのある体育会系マッチョのハンサムさんとインテリ風メガネのハンサムさんが、同時にニッと笑って会釈してくださいました。

「この子は、森下直子さん。うちの期待の新人でバレエの名手。バレーつってもハイキューじゃなくて白鳥とかのほうね」
 ほぉーっ、って感心されたような低めのお声が一斉にあがり、思わずうつむいてしまいました。

「でも、ぜんぜん男馴れしていないお姫様だから、ちょっとでも苛めたりからかったりしたら、このアタシが承知しねーからなっ!」
 リンコさまが、半分冗談ぽくドスの効いたお声で啖呵をお切りになると、そこにいた男性全員が一斉に野太いお声で、
「へいっ、姉御!」
 一瞬、間を置いて、一同がドッと沸きました。
 みなさま、ずいぶんよく訓練された王国民のようです。

「こっちが柏木さんで、こちらが右から阿部さん、道下くん、春日くん」
 がっちりした人や少しナヨッとした人、ドギマギしてしまってまともに視線を合わせられないのでよくはわかりませんでしたが、みなさまビジネススーツがよくお似合いなイケメンさん揃いでした。

「彼らは、明日のイベントの言わばボディガードみたいなもの。興味本位で潜り込もうとするゴシップ雑誌記者とかもいるのよ。そういう輩を見張ってくれるの」
「あと、受付とか音響とかパワポの操作とか。もちろん撤収のときの力仕事もね」

 私に向かって、さわやかスマイルを放ってくださるイケメンさんたち。
「よ、よろしくお願いしまーす」
 小さな声でモゴモゴ言って、ペコペコとお辞儀をしながら、だんだんドアへと近づき、ようやくイベント会場の中に入れました。


オートクチュールのはずなのに 38


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