2011年10月9日

ピアノにまつわるエトセトラ 03

 やよい先生からの課題、ミーチャンさん作の輪っかに洗濯バサミをいくつかぶら下げた装置をアソコに付けてオナニーしているところを自画録りしなさい、をデジタルカメラの動画モードで提出してから約一週間後、私は、思いがけないプレゼントを受け取りました。
 
 私自身、記憶の片隅に置き忘れたまま、忘れ去りそうだったあの夏の日の証拠品。
 それは、あまりにもあからさまな、恥辱にまみれた被虐と羞恥の結晶でした。

 輪っかに洗濯バサミの課題自体も、かなり恥ずかしくて屈辱的な体験でした。
 夏に経験したやよい先生とのプレイの中でも、強烈な印象が残っているミーチャンさん作の悪魔のオモチャ。
 
 それは、靴下とか小さな下着類を干すときに使う、丸いリングに洗濯バサミがいくつもぶら下がっている洗濯物干しを、二まわりくらい小さくして吊るす部分を省いた形状の器具でした。

 今回、送ってきてくれたそれは少し改良されていて、リングは直径20センチくらいの赤いプラスティック。
 やよい先生が使ったのは、そこに普通のプラステイック洗濯バサミが6つ、等間隔にまあるくぶら下がっていましたが、今回のは洗濯バサミが4つ。
 
 リングの右側と左側に、時計の文字盤で言うと2時、4時、8時、10時の位置に短かいゴムで左右対称にぶら下がっていました。
 洗濯バサミ自体もよくあるやつではなく、金属製で、挟む部分の面積が広く、その部分には柔らかめな滑り止めゴムが貼ってありました。

 送られてきた荷物の底にこの器具をみつけた瞬間、私のアソコがヌルンと緩みました。
 そして、これを付けてオナニーしているところを自画録りせよ、というメール課題を読み、もういてもたってもいられないほどからだが疼いてしまいました。
 
 この器具を付けると、アソコの穴がパックリ開かれたまま固定されてしまい、恥ずかしい部分の何もかも、奥の奥までが見事に晒されてしまうのです。
 そんな姿を自分で録画して、やよい先生と、必然的に一緒に見るであろうミーチャンさんに提出しなければいけないのです。
 これ以上の恥ずかしい課題があるでしょうか。

 録画までするとなると準備もいろいろ必要ですし、時間もかかりそう。
 ゆっくり誰にも邪魔されない日に行ないたいと思いました。
 幸い、このところ毎週土曜日の午後は、お家に誰もいない時間を過ごすことが出来ていました。
 
 母は彫金のお教室、篠原さん親娘も、ともちゃんがスイミングスクールに通い始めたので、午後の1時から6時くらいまでは、いつも私一人でお留守番状態でした。
 迷わず、その週の土曜日に決行することにしました。

 土曜日の午後1時半、母たちを送り出して一息ついた後、私は自分のお部屋に閉じこもりました。
 見事な秋晴れの日で、雲ひとつ無く晴れ渡った清々しい午後でした。
 
 課題をいただいた日から、ヒマさえあれば実行の段取りを考えていましたから、やることは全部シミュレーション出来ていました。
 前の日にピアノレッスンでゆうこ先生にお会いしてもいたので、ムラムラのテンションはどんどん上がっていました。

 お部屋に入って、窓という窓のカーテンを全開にしました。
 秋晴れのやわらかい陽射しがお部屋中に入り込み、いっそう明るくなりました。
 私よりも背の高い、一番大きい窓際の1メートルくらい手前にレジャーシートを敷き、防水クッションカバーを付けたクッションを2つ置きました。
 
 この防水カバーは、100円ショップと隣接したペットショップで買うともなしにワンちゃんの首輪や引き綱を見ていたとき、偶然みつけたペット用のものでした。
 少しお高かったけれど思わず買ってしまいました。
 私のえっちなおシルやよだれを、ちゃんとクッションまで染み込まないようにはじいてくれていて、重宝していました。

 それから愛用の姿見を、窓からの光が反射したり逆光にならないような位置に置き、鏡の中がキレイに映せて、なおかつ鏡にデジタルカメラが映り込まないように工夫してセットしました。
 モニター部分が外に開く形式のカメラだったので、意外とすんなり出来ました。
 
 デジタルカメラを固定するのは、前の日に母から借りた三脚。
 ゆうこ先生とレッスンしている写真を撮りたいから、と言って、シャッターの延長コードとともに昨日から借り受けていました。

 テストの意味でその場にしゃがみ、穿いていたスカートをまくってショーツの三角部分を鏡に映しつつ、カメラの角度を微調節しました。
 カメラを動画モードにして、シャッターの延長スイッチを押してみます。
 
 M字開脚のまま、ゆっくりショーツをずり下げていきました。
 三週間くらい前の剃毛課題でツルツルにした私の土手に、ポツポツと密度薄く新しいヘアが芽吹き始めているのが、姿見の鏡に映っています。
 土手を指で撫ぜると、かすかにチクチクするくらい。
 遠目ならまだまだぜんぜんパイパンです。

 延長シャッターを操作して録画を切ってから、ショーツを両膝に引っ掛けたまま立ち上がり、今録画した動画を確認してみます。
 位置はバッチリ、明るさもおっけー。
 
 デジカメの小さなモニターの中に、自らの手でショーツを下ろしていく私の下半身がガサゴソという臨場感溢れる衣擦れの音とともに、鮮明に記録されていました。
 鼻から下部分くらいからしゃがみ込んだ全身がキレイに録れています。
 裸になればおっぱいはもろに映るでしょうし、もう少し身を屈めれば顔全体も映っちゃいそう。
 
 自分主演のはしたない動画を見ながら、どんどんムラムラが昂ぶってきていました。
 着ていたものをすべて、そそくさと脱ぎ捨てました。

 今日の妄想は、榊ゆかりシリーズの最新作。

 今年の1月から書きつづけている榊ゆかりシリーズの妄想執筆オナニーのことは、以前、やよい先生とのお電話中、何かの拍子でポツリと洩らしてしまい、すごく興味を持たれて、そのお話をスグ送ってくるようにご命令されました。
 自信作を何篇かメールで送ったら、すっごく褒められて、今後も何かお話を書くたびに送るようにご命令されました。
 
 そして、やよい先生は、百合草やよい、の本名で、榊ゆかりシリーズへのご出演を快諾してくださいました。
 ついで、と言っては失礼ですが、ミーチャンさんからも、水野美衣子、の本名でドM隷女としてぜひ出演させて欲しい、って頼まれていました。

 百合草やよいさま経営のレズビアンバーで働くことになったゆかりは、カウンターの中でやよいさまがお召しになっていたお気に入りの真っ白なドレスに、誤まって赤ワインを盛大にこぼしてしまうというヘマをしてしまいました。
 やよいさまのドレスは大層お高く、やよいさまは怒り心頭で、どう謝っても許してもらえませんし、すぐに弁償するなんて絶対無理。
 
 そこで、ドSのやよいさまは、ご自分のご趣味と実益を兼ねて、弁償代を稼ぐために常連さんをたくさん呼んで、秘密のショーを見せることを企画しました。
 そのショーとは、ビアンでSなお客さまばかりで満員のバーカウンター上でゆかりが全裸になり、やよいさまに謝りながらの自虐オナニーをご覧いただく、というものでした。
 お客さまにすべてを見ていただくために、あの輪っか器具でアソコを大きく広げた格好での公開オナニーショー。

 裸になった私は、まず自分のおっぱいを、大好きな上下からロープで絞り込む形にキツク縛りました。
 日頃の練習の成果もあり、この頃の私はかなりスムースに麻縄を扱えるようになっていました。
 
 この後もいろいろしなければならないので、二の腕ごとは縛れませんが、二つのおっぱいが無残に歪んで乳首がピンと飛び出すように、ロープのブラジャーみたいな形に縛り上げました。

「ああんっ!」
 
 疼くからだがどんどん敏感になってきて、知らず知らずにえっちな声が洩れ始めます。

 おっぱいの次は両脚。
 鏡前のクッションの上にしゃがみ込み、まず左脚から、折りたたんだ膝が戻れないように、太腿の上からロープを脛に回して左脚を一くくりに縛り上げました。
 右脚も同様にすると、両脚とも膝でUの字にたたまれた形になり、もはや立ち上がることは出来ません。
 
 お尻をついて座り、両膝を左右に180度広げると、アソコのスジも左右に分かれて、くぱぁと口を開けます。
 でも、今日はこの口を、器具で更に押し広げなければならないのです。

 その前にいつものアクセサリー。
ロープに絞られて肌全体をひきつらせた可哀相なおっぱいの頂点で、ツンと飛び出して存在を誇示している、いやらしい乳首。
 その充血してコリコリになったスケベな突起に、木製の洗濯バサミを噛みつかせます。

「うっ!つぅーっ!」
 
 少し前までは、こんな痛みには絶対耐えられないと思っていた激痛が、最近では陶酔するほどの快感に変わっていました。

「いっ!つぅぅんっ!」
 
 右、左と噛みつかせ、さらに両手で左右の洗濯バサミの柄を乱暴に揺らします。

「あーーんっ!」
 
 乳首が上へ下へひっぱられ、ちぎれそうな感覚とおっぱい全体にジワジワ広がる疼痛。

「うっふうぅーんっ!」
 
 痛いはずなのに、なぜだか悦びに満ちた、誰かに甘えるようなため息が洩れてしまいます。

 ひとしきり乳首を虐めたら、いよいよ悪魔のオモチャの出番です。
 鏡の前で両膝を大きく開きました。
 アソコの中は、これからされる恥辱な仕打ちの期待に打ち震え、ビショビショのヌルヌル大洪水でした。

 早くもビチャビチャに濡れてしまった右手の指先で、赤いリングに結び付けられた洗濯バサミの一つを掴みました。
 つづいて、私のアソコの割れスジの向かって右上部分、穴に近い土手部分のヌルヌルな皮膚を左指先で引っぱるように一つまみし、つまんだ皮膚を右手の洗濯バサミに噛みつかせました。

「あぁーんっ!」
 
 鈍い疼痛とともに、敏感になっているアソコ周辺を甘美な刺激が襲います。
 つづいて、さっきの洗濯バサミとは180度反対側の洗濯バサミを、穴の左下部分へ。

「いやんっ!」
 
 鏡に映った私のアソコは、普通に膝を開いていたときとは大違い、露骨に2ヶ所の皮膚を引っぱられて、いびつな形に変形し、穴の面積も広がっていました。
 アソコのまわり2ヶ所から鈍い疼痛を受けている私の穴は、しきりに粘膜をよじらせて、もっともっととせがんでいるよう。
 ヌルヌルなよだれがお尻の穴のほうへしきりに垂れていき、私の両手の指先は、すでにフニャフニャふやけ始めていました。

「んんーっ!」
 
 左上部分を洗濯バサミに噛ませると、穴の上半分が大きく半楕円形に広がりました。
 ピンク色にテラテラ光るクリトリスが肥大して完全に露出。
 それを隠していた鞘は不自然に左右から引っぱられて皮が痛々しく引きつっています。

「いやーっ!」
 
 右下部分が噛まれたとき、私の穴はラグビーボールが太ったみたいな見事な楕円形にパックリと口を開けていました。
 大陰唇と小陰唇が肉襞もろとも均等に引っぱられて左右にそれぞれキレイな曲線模様を描き、その中央でヌラヌラ濡れそぼった鮮やかなピンク色が幾層も重なった、見るからに卑猥な穴が奥へ奥へと誘うようにヌメヌメ蠢いています。

 その穴の頂上に冠のように飾られた、プックリとしてツヤツヤ輝く快楽の象徴たる肉の核。
 穴の中は、濡れそぼっているのにすごく熱そうで、目をこらせば漂う湯気さえ見えてきそうでした。
 その穴の少し下には、惑星に対する衛星のような縮尺で、小じんまりとヒクついているお尻の穴。

 それらのすべてが私の目の前の鏡に、隠すところなく鮮明に映っていました。
 まるで、みんなここをもっとよーく見てっ!って注目を集めたいがために施されたような、キレイな赤色の輪っかに縁取られて。


ピアノにまつわるエトセトラ 04

2011年10月8日

ピアノにまつわるエトセトラ 02

 母は、もうとっくにフラのお教室には行かなくなっていましたが、あのときの3人、ミサコさんとタチバナさん、そして大貫さんとはずっと親しくおつきあいしているみたいでした。
 ミサコさんのご紹介で彫金を習い始めたり、4人で温泉旅行に出かけたり、いろいろしているようです。
 我が家に遊びに来たことも何度かあったみたいなのですが、私が学校に行っていたり外出中だったりで、大貫さんにお会いするのは、中2の夏休み以来でした。

 お約束の時間の少し前に、大貫さんが我が家にやって来ました。
 豊かな黒髪に軽くウエーブがかかった他は、あの頃とまったく変わらない、いえ、よりいっそうお美しくなられていました。
 
 シンプルだけれど肌触りの良さそうな真っ白いブラウスに、ツヤツヤした布質のベージュのロングスカートとジャケットを合わせた大貫さんの姿は、どこのご令嬢?って思うくらいお上品でお綺麗でした。

「直子さん、お久しぶりね」
 
 リビングでジャケットを脱ぎ、ソファーに優雅に腰掛けた大貫さんがニコッと笑いかけてきました。

「ご指導、よろしくお願いします!」
 
 ペコリとお辞儀を返した私は、その後上げた視線がどうしても、白いブラウス越しの大貫さんのバストに向いてしまいます。
 セクシーな形にカーブを描くブラウスの布。
 
 脳裏に浮かぶのは、あの夏の日に見た極小ビキニから盛大にはみ出していた形の良い、たわわなおっぱい。
 私は、あわてて脳内の画像を消し、お愛想笑いみたいにぎこちなく笑い返しました。

「私からもよろしくお願いするわね、ゆうこさん。直子をビシビシ鍛えちゃって」
 
 母が紅茶を煎れながら、茶化すみたいに私と大貫さんを見比べてニヤニヤしています。

「ううん。わたしも直子ちゃんにぜひもう一度会いたいと思っていたから、お話をいただいて、嬉しくなっちゃた。仲良くやっていきましょうね、直子ちゃん?」
 
 大貫さんが蕩けるような妖艶な笑顔を私に向けてくれました。
 私は、文字通り見蕩れてしまいます。
 こんなに綺麗でオトナな雰囲気の美人さんと、これから週一回は必ず会えるんだ。
 その上、この美人さんには、絶対に私と相通じるえっちな秘密があるはず…
 心がどんどんワクワクドキドキしてきました。

 少しの間、3人でお茶を飲みつつ世間話でまったりした後、私のお部屋に移動してピアノレッスンが始まりました。
 母も傍らで見学しています。

「幼稚園の先生になるためのピアノなら、バイエルがだいたい弾けて、簡単な楽譜が初見で弾けるっていうレベルまでもっていけばいいだけだから、直子ちゃんならすぐに体得出来るわよ」
「短期間でラフマニノフやリストを弾きこなしたい、なんて言われたら、わたしも考え込んじゃうけれど、ね?」
 
 まず最初に、私の指がどのくらい今動くのかを見た大貫さんが、やさしく言ってくれました。
 その後、大貫さんがバイエルの一番最初から順番に何曲か模範演奏してくれました。
 その演奏を聴いて、小学生の頃習った曲をどんどん思い出してきて、私も、なんとかなりそうだな、っていう自信というか、希望みたいなものを持つことが出来ました。

「直子ちゃんは、楽譜の読み方のルールもちゃんと覚えているみたいだし、意外と早く習得出来そうね」
「あとは、10本の指がちゃんと動くように日頃から訓練を積み重ねていけばいいだけ」
 
 最初のレッスンが終わった後、大貫さんはステキな笑顔で私の両手を取って、励ましてくれました。
 大貫さんの白くて長くて細くて綺麗な指。
 その感触にやっぱり、あの夏の日のことを思い出してしまい、ドキドキしてしまう私。
 お夕食を一緒に食べた後、母が車で大貫さんをご自宅へ送っているお留守番の間、私は自分のお部屋で大急ぎで久しぶりの思い出しオナニーをしてしまいました。

 大貫さんは、毎週金曜日の夕方に来てくれることになりました。
 夕方から1、2時間、集中してレッスンして、お夕食を食べて、それから母を交えてまったり世間話をして、たまには母とお酒を飲んで泊まっていかれることもありました。
 
 私は、大貫さんと会えることがすっごく楽しみになっていました。
 大貫さんは、やさしくて、優雅で、気さくで、いつしか私は親愛を込めて、ゆうこ先生、と呼ぶようになっていました。

 季節は秋が深まる頃でしたから、ゆうこ先生は毎週、長めのワンピースにフワフワのカーディガンとか、ゆったりしたジャケットにサブリナパンツとか、シックでエレガント系な服装で、ライトブルーな可愛らしい形の車に乗って我が家を訪れました。
 そのファッションがまたすっごく似合っていて、私は会うたびに見蕩れていました。
 
 レッスンも5回を数える頃になると、私もゆうこ先生みたいにオトナな雰囲気の女性になりたいなあ、っていう、まさに憧れの存在に変わっていました。
 私のもう一人の憧れ、やよい先生が動の魅力ならば、ゆうこ先生には静の魅力を感じていました。

 もちろん、ピアノの練習も一生懸命やりましたが、ゆうこ先生に一番聞いてみたいことは、ピアノに関することではありませんでした。
 
 あの夏の日に、なぜあんな水着を着せられていたのか。
 どうして、あんなに恥ずかしがっていながら、それでも着つづけていたのか。
 ゆうこ先生は、ああいう格好をすることが好きなのか。
 まだまだ他にもいろいろ。
 私との共通項を確認したくて仕方ありませんでした。

 でも、ゆうこ先生とお話しするときは、たいてい母も傍らにいましたから、そんなえっち系な質問は出来るはずもありませんでした。
 それでも、母とゆうこ先生の他愛も無いおしゃべりを注意深く聞いていると、段々とゆうこ先生の私生活がわかってきました。

 ゆうこ先生は、普段はゲームやアニメやドラマなどのBGMを作曲するお仕事をされていること。
 そのお仕事は、今はあまり本格的にはやっていなくて、気が向いたときにやる程度なこと。
 有名な歌手のライヴやレコーディングにも、たまにキーボードで参加することがあること。
 そういうときは、ほとんどご自宅に戻れない生活になること。
 
 私の他にもう一人、ピアノを教えている生徒がいること。
 別れた旦那さまは、まったく音楽とは無関係なお仕事の人で、離婚の原因は旦那さまのたび重なる浮気だったこと。
 お金はけっこう貯まっているので、あまりお仕事をしなくても暮らせること。

 母とゆうこ先生がお酒を飲んでいて、ゆうこ先生が少しだらしなくなっているとき、カレシが欲しいって思わないの?って聞かれたことがありました。
 私は、母がいるのがちょっと気になりましたが、思い切って言ってしまいました。

「私、男の人ってなんだか怖い気がするんです…」
 
 母は、あはは、と笑ってから、

「うん。高校女子は、そのくらい臆病でちょうどいいのだよ」
 
 ってニコニコしながら私の頭を撫でてくれました。
 ゆうこ先生も便乗して手を伸ばしてきて、私の髪を撫でながら、

「うんうん。わたしももう男はこりごり。今は直子ちゃんみたいな可愛い女の子と一緒にいるのが一番楽しい」
 
 しみじみした感じでおっしゃいました。

 それを聞いて照れ笑いを浮かべるだけの私でしたが、内心ではズキンドキンと胸が激しく高鳴っていました。
 ゆうこ先生と私、ひょっとするとうまくいくかもしれない。
 理由も無くそんな予感が芽生えていました。

 その頃の私は、いつもとは少し違う種類のムラムラを抱えていました。
 一人で闇雲にいやらしいことをして欲求を満たす、という今までのやりかたでは解消されない厄介なムラムラ。
 
 それは、誰かにからだをさわってもらいたい、誰かに抱きしめられたい、誰かをさわりたい、誰かを抱きしめたい、っていう欲求でした。
 自分で自分を慰めるのではなく、誰かを気持ち良くして、誰かに気持ち良くしてもらう快楽。
 
 それは、約3ヶ月前にやよい先生から教え込まれてしまった、贅沢な快感でした。

 今までに私のからだの隅々までさわって気持ち良くしてくれたのは、中3のときの相原さんとこの間のやよい先生、そしてユマさんの3人だけ。
 涼しさが深まる季節のせいもあるのでしょうが、最近はオナニーしていると頻繁に、その3人からの感触を思い出していました。
 
 つまり俗に言う、人肌恋しい季節、なのかな。
 誰かと裸で抱き合ってぬくもりを感じて、思う存分お互いの肌を貪り合いたい、っていう気持ちが日に日に高まっていました。

 やよい先生が東京に行ってしまい、そういう遊びが出来るお相手の心当たりはユマさんだけでした。
 実際、何度かユマさんに連絡をとってもみたのですが、メジャーデビューCDが出たばっかりのユマさんは、すっごくお忙しい日々を送っているらしく、地方にツアーに出ていたり、レコーディングで缶詰になっていたりで、いつもゴメンネのメールにキスマークの写メを添えた返信が返ってくるばかりで、デートのお約束は延び延びになっていました。

 やよい先生からは、お約束どおり定期的に課題が送られてきていました。
 自分でパイパンに剃毛する過程をビデオ撮影して送りなさい、とか、ミーチャンさん作の輪っかに洗濯バサミをいくつかぶら下げた、アソコの穴をまあるく広げて固定する装置が送られてきて、これを装着してオナニーしているところを自画録りしなさい、などの刺激的な課題も、やっているときは大コーフンしているのですが、それでも頭の片隅に、人肌への願望、が燻りつづけていました。

 そんなせいもあってか、自虐的なオナニーをしていると、いつもよりたくさん洗濯バサミをつけたり、ロープを肌にきつく食い込ませたりと、自分虐めの度合いが増してしまう傾向になっていました。

 そんなときに親しくおつきあい出来るようになった、妖艶なオトナの美女、ゆうこ先生。
 おそらく私と共通する恥ずかしい性癖をお持ちのはずな、ゆうこ先生。
 私のゆうこ先生へのえっちな想いは、日に日に募るばかりでした。


ピアノにまつわるエトセトラ 03

2011年10月2日

ピアノにまつわるエトセトラ 01

 高校2年生の二学期が始まって衣替えも近づく頃、私はピアノを習い始めました。
 私の将来の希望、幼稚園の先生になるためには必須だと知り、必要に迫られての選択でした。
 幸い、母の友人にピアノがすごく上手いかたがいて、そのかたが週一くらいのペースで個人レッスンをしてくださるということになりました。

 私は、小学校3年生までピアノを習っていました。
 きっかけは幼稚園のとき。
 幼稚園の建物に隣接して、とある音楽教室があり、母の意向で幼稚園入園と同時にそちらにもお世話になることになりました。
 
 その音楽教室は、今にして思えばけっこう本格的なもので、若めのご夫婦が経営されていて、幼稚園児から大人の人まで、いろいろな楽器のレッスンを手広く幅広くご指導されていました。
 私がずっと教わっていた先生は、そのご夫婦の奥さまのほうで、きよみ先生と呼んでいました。
 長いストレートヘアを真ん中分けにして、いつもキレイなリボンで長いポニーテールに結んだ、丸ぽちゃでえくぼがステキな気さくな感じの女性でした。

 幼稚園のときのレッスンは、幼稚園でやるおゆうぎの延長のようなもの。
 カスタネットやトライアングルを手に持って鳴らしながら、音楽に合わせてヒョコヒョコ踊るような感じのものだったと思います。
 幼稚園がキリスト教系だったので、聖歌のようなお歌の合唱もよくしていました。
 
   母によると、音楽教室での私がすごく楽しそうだったので、幼稚園を卒園しても、その音楽教室にはそのまま籍を置くことにしました。
 小学校1年生になると週に一回、学校が終わった後に母と一緒にその音楽教室に通って、ハモニカやリコーダーのレッスンを受けました。

 クラシックの名曲をかけて、それを聞いて感想を言い合う、みたいなレッスンもありました。
 私は、たとえばプロコフィエフのピーターと狼、とか、ケテルビーのペルシャの市場にて、みたいな楽しげな雰囲気の曲だとニコニコしてご機嫌で、ドヴォルザークの新世界より、とか、ショパンのノクターン、みたいな哀愁を帯びたメロディを聴くとしょんぼりしてしまうような、非常にわかりやすい子供だった、と母が笑いながら話してくれたことがありました。
 
 ドヴォルザークのユーモレスクが大好きで、前半の軽快で優雅なメロディのところでは、すっごく嬉しそうにしてるのに、真ん中へんの暗めなメロディになると途端に泣き出しそうな顔になって、また最初のメロディに戻るとニコニコし始めるのが面白くて、何度もくりかえし聞かせたものよ、って笑いながら懐かしそうに語る母。
 確かに私、今でもユーモレスクを聞くと同じ反応をしてしまいます。
 さすがに今は、そんなにわかりやすく顔には出さないけれど。

 小学2年になると、本格的な楽譜の読み書きと、何か一つ、習う楽器を決めることになりました。
 確か、ピアノ、電子オルガン、ヴァイオリン、フルートが選べたと思います。
 電子オルガンを担当していたのは、きよみ先生の妹さんで、発表会のときの模範演奏が素晴らしくって、まるでオーケストラみたいでした。
 
 すごいなー、と思った反面、見ていると両手両足がめまぐるしくも忙しく動いていて、難しそうだなー、とも思いました。
 かなり迷って、たぶんピアノが弾けるようになれば、あとは足を練習すれば電子オルガンも弾けるのじゃないかな、なんて甘い考えに達し、きよみ先生が教えてくれるピアノにすることにしました。

 母がなぜだか当時、ピアノの音も出せるシンセサイザーを持っていたので、それをアンプに繋げてリビングに据え付け、練習しました。
 楽器の調整は全部、父がやってくれました。
 小学3年の年度末に転校するまで、バイエルの半分くらいまでは進んだと思います。

 転校してしばらく経つと、まったく鍵盤にはさわらなくなってしまい、いつの間にかシンセサイザーも片付けられてしまいましたが、音楽を聞くのは大好きでした。
 もともと父が洋楽好きで、当時の父のお部屋には、今ではめったにお目にかかれない大きなLPレコードやCDがたくさんあって、父のお部屋に遊びに行くと必ず何か音楽が流れていました。
 ビートルズやカーペンターズ、アバやマイケルジャクソンさん…
 それに、そういうのよりもっとギターがギュワーンとうるさいロックな音楽。
 父のお部屋には、真っ黒な平べったいひょうたんみたいな形をしたエレキギターも置いてあって、ときどき爪弾いていた姿もはっきり憶えています。

 母は、クラシックと日本の女性シンガーの曲が好きみたいで、母のお部屋にもそれなりにCDがたくさん並んでいました。
 私が最初に、母にねだって買ってもらったCDは、パフィだったかな。
 母が好きでよく聞いていたスパイスガールズも、プロモーションビデオをテレビで見て、この外国人のお姉さんたち、なんてカッコいいんだろう!って思ったのを憶えています。

 そんな感じの音楽遍歴な私の8年ぶりのピアノレッスン復帰に、森下家は大騒ぎでした。
 母は、アップライトのアコースティックピアノを買う気マンマンだったのですが、定期的な調律の問題や、生音によるご近所迷惑、大学生になったら私が家を出てしまうかもしれない、っていうことも鑑みて、鍵盤がアコースティックピアノのタッチに近くて、夜でもヘッドフォンで練習出来るエレクトリックピアノにしよう、という父の提案が採用されました。
 
 父が妙に生き生きとして、いろいろなカタログや雑誌を集めて検討した結果、日本の老舗メーカーの、ピアノだけでも音色が10個以上もある88鍵の細長いエレピが私のお部屋にやってきました。

 9月中旬の日曜日、お昼過ぎ。
 私のお部屋に親子3人と篠原さん親娘が勢ぞろいして、エレピとアンプを繋げる父の配線が終わるのを待っていました。
 こんな風に勢ぞろいしてガヤガヤするのも久しぶり。
 なんだか心がウキウキしています。

 ピアノの音が出るようになって、早速、父がつっかえつっかえでしたがジョンレノンさんのイマジンを小さな声で弾き歌いしてくれました。

「けっこう忘れてないもんだねー」
 
 弾き終わった後、父が照れ笑いしながら母に席を譲ります。

「もうずいぶん弾いていないから、なんだかドキドキするわー」
 
 なんて言いながら、母もジョーサンプルさんのメロディーズオブラヴを、何箇所かヘンなところもありましたが弾ききりました。

「うわー、すごい!パパもママもなんで楽譜も見ないで弾けるの?」
 
 私は、真剣に驚いていました。
 両親がこうして楽器を弾くところなんて、ずいぶん見ていなかったから。

「ママは大学生のとき、文化祭の野外ステージでこの曲のソロを取ったんだよ」
 
 父が懐かしそうに教えてくれました。

「家にピアノが来るっていうんで、こっそりお友達の家で二、三回練習しておいたのだけどね」
 
 母が白状しました。

 篠原さんちの小学3年生、ともちゃんもずっとピアノを習っていて、もうとっくにバイエルは終わっているそう。
 ともちゃんは、小さなからだでエレピの前にチョコンと座り、ベートーベンのエリーゼのために、を見事に弾いてくれました。
 
 大トリは篠原さん。

「私もフルートばっかりで、ピアノはほとんどさわっていないのだけれど…」
 
 そう言いつつ、ショパンの別れの曲を難なく弾きこなす篠原さん。

「なんだー、みんなピアノが弾けるんじゃない?なんだかズルイーっ!」
 
 私が今、ささっと弾けそうなのって、ネコふんじゃったとチョップスティックスくらい?
 それさえも弾き通せるか、自信はありません。

「篠原さんのお家にもピアノがあったんだ?早く言ってくれたら良かったのにぃ」
 
 なんとなく篠原さんに文句を言ってしまう私。

「ええ…こんなに立派なのじゃないけれど智子のために…」
 
 篠原さんがなんだかすまなそう。

「だってなおちゃん、ともちゃんがピアノの練習している音が聞こえてきても、今までは何の反応もしなかったじゃない?」
 
 母が篠原さんに助け舟を出しました。

「こんなにみんなが弾けるんなら、みんなに教えてもらえばすぐ、上手くなれるかなー?」
 
 篠原さんに申し訳なくなって、その場をごまかそうと愛想をふる私。

「だめよ。わたしたちはみんな昔習ったまま我流になっちゃっているから、ちゃんと筋道たてて教えてくれる先生につかないと」
 
 母がその場をまとめて、うんうんとうなずくみんな。

「でも、わたしは今習っている最中だから、ときどき一緒に練習しよ?」
 
 ともちゃんが私に抱きついて笑いかけてくれました。

「うん。一緒にがんばろうね」
 
 ともちゃんと手を取り合って、私は俄然、ヤル気が出て来ました。

 そして9月三週目の金曜日。
 早めに学校から帰宅した私は、リビングで母と二人、ピアノのレッスンをしてくださる先生をお迎えするべく、ワクワクしながらお待ちしていました。
 先生のお名前は、大貫木綿子さん。

 そう。
 約3年前、私が中学2年で、トラウマもまだ受けていなかった夏休みのある日。
 母の主催で自宅のお庭で開かれたガーデンパーティに、紐みたいなキワドイ水着でめちゃくちゃ恥ずかしがりながら参加されていた、あのオオヌキさんでした。


ピアノにまつわるエトセトラ 02