2010年10月16日

トラウマと私 07

いろいろと楽しかった夏休みも、終わりが近づいてきた8月下旬、悲しいお知らせが我が家に届きました。
父のお父さま、私から見ればおじいさま、が病気で亡くなったっというお知らせでした。

父の実家は、現在私たちが住んでいる町から車で、高速道路を使って3時間くらいの山間の町にあります。
父は、四人兄弟の3番目。
上の二人はお兄さまで、下は妹さん、年齢はそれぞれ2、3歳づつくらいの差だそうです。

父にちゃんと聞いたことはありませんが、父は、この数年間ずっと実家に帰るのを避けているように見えました。
あまり実家に近寄りたくないみたい。
私が憶えてる限りでは、私を連れて行ってくれたのは、小学校の低学年の頃に一回だけ。
とても広くて立派なお屋敷だったのは、薄っすらと憶えていますが、おじいさまやその他の親戚の人たちのことは、お顔も含めて何も憶えていません。

父も母も、自身の実家のことについては、ほとんど話題にしませんでした。
母がたまに、結婚前の思い出を聞かせてくれるくらい。
私もあえて聞く必要も無かったので、今に至るまで、両親の実家のことは、よく知らないままです。

そんな父でもさすがに、お父さまがご病気だったことは、知っていたのでしょう。
母が父の実家から電話をもらい、すぐに父のケータイに電話をしたら、すごく冷静だったそうです。
その日父は、珍しく夜の8時前に家に帰ってくると、どこかに何本か電話をしていました。
翌日朝早く、親子3人で父の実家へ行くことになりました。

8月最後の金曜日の早朝、父の運転で父の実家に向かいました。
篠原さん親娘もご一緒に、とお誘いしたらしいのですが、ともちゃんがカゼ気味らしく、様子を見て、なるべく明日の告別式だけは参列したい、ということになったそうです。
篠原さんは、亡くなったおじいさまのお姉さまの次男の娘さん、だそうで、私から見ると、はとこ、になるのかな?

途中、サービスエリアでゆったりと朝食を取ったり、高速道路を降りてからは、有名なお城跡に寄り道したりして、その間、まったくおじいさまとは関係の無いお話ばかりしてて、父の実家の門をくぐる頃には、午後の3時を回っていました。
父は、本当に実家に帰るのがイヤなんだなあ、ってよくわかって、ちょっと可笑しかったです。

数年ぶりに訪れた父の実家は、やっぱり広大なお屋敷でした。
丁寧ににお手入れされた立派な樹木が立ち並ぶ石畳を抜けると、広いお庭に出て、何人ものお客様が入れ替わり立ち代り、お庭を右往左往していました。
お家も和風で、一見、大きなお寺みたいな立派な造り。
お庭に面した廊下を隔てた20畳以上ありそうな畳敷きの大広間で、お通夜の準備が始まっていました。

父は、なんだか急に忙しそうで、こっちに着いてからは、知らない男の人たち数人とずっと一緒に行動していました。
母は、幾人かの人たちとご挨拶を交わしていましたが、私は、誰一人として知りません。
私と同じくらいの年齢の男女もちらほらいましたが、誰が誰やら全然わかりません。
なので、私はその三日間ずっと、母にぴったりくっついていました。

着いた日の夕方からお通夜で、すごくたくさんの方々が訪れてきました。
花輪がたくさん飾られて、聞いたことあるような政治家さんの名前もちらほら見えました。
父の会社の名前のもちゃんとありました。
お通夜の仕切りは、専門の人たちがやっているので、私と母は、父のご親戚のかたたちにご挨拶をしてしまうと、まったくヒマになってしまいました。
母も、なんとなく居心地悪そうです。
仕方ないので、大広間の隅っこに並んで座って、二人で小声でテーマ別しりとりをしながら時間が過ぎるのを待ちました。

その夜は、お屋敷に泊まりました。
他にも何人ものかたが、泊まっていくみたいです。
私たちが案内されたのは、大広間から渡り廊下を隔てた離れにある、ベッドが一つだけ窓際に置かれた広い洋風のお部屋でした。
「ここは昔、パパのお部屋だったそうよ」
母が教えてくれました。

そのお部屋に私と母、それに母より年上な知らないおばさま3人と泊まりました。
夕ご飯もお膳をそのお部屋まで運んで来てくれて、そこで食べました。
おばさまたちは皆、気さくな人たちで、
「なおちゃん、本当に大きくなったわねえ」
「この前会ったときは、こんな小さかったのにねえ」
「もうすっかり、女性のからだつきねえ」
などと、口々に言ってくれます。
でも、私は彼女たちが誰なのか全然わかりません。
私にベッドを使わせてくれて、母と3人のおばさまたちは、フカフカの絨毯の上にお布団を敷いて寝ていました。

次の日がお葬式で、車で20分くらいのこれまた大きなお寺に参列者みんなで移動しました。
お屋敷に集まっていた人たちだけでマイクロバス5台が満席、すごい人数です。

「ねえママ、この人たちみんな、あのお屋敷に昨夜泊まったの?」
私がびっくりして聞くと、母は、
「まさかあ。半分くらいの人は今日来られたんじゃない?そう言えば、篠原さんは、来られたのかしら?」
生憎の曇り空で湿気が強く、今にも雨が降り出しそうな蒸し暑い日でした。

お寺では、篠原さんたちと会うことができたので、少しホっとしました。
お葬式の間は、ともちゃんとずっと手をつないでいました。
ともちゃんも黒いワンピースを着ていて、カゼがまだ直りきっていないのか、いつもの元気がありませんでした。

告別式が終わると、篠原さん親娘は、ともちゃんの調子も良くなさそうなので、火葬には立ち会わずにそのまま帰っていきました。
私たち家族は、もう一泊して、明日朝早く帰ることになりました。

夕方からは、お屋敷に戻った人たちが集まり、大宴会になりました。
精進落とし、と言うそうです。
昨夜お通夜をした大広間に、ずらっとお膳が並んでいます。
入りきれなかった人は、廊下に座っています。
100人くらいいるのかな?

大きな祭壇が設えられて、最初は、お坊さんが出てきてブツブツお経をあげていました。
それが終わるとお食事となり、大人たちがお酒を飲み始めて、ワイワイガヤガヤし始めます。
私は母の隣に座り、黙ってお料理をいただいていました。
普段はあまり食べない和食な献立でしたが、お腹が空いていたので、すごく美味しかった。
母は、ビールのグラスを持って知らないおばさまたちとお話しています。
私たちのいる一角は、女性ばかりです。
昨日一緒に泊まったおばさまのうちの一人もいます。
お料理を食べ終わり、退屈になってきた私は、あのお部屋に戻って横になりたいなあ、なんて考えていました。

お外は、空が一段と暗くなって雨が降りだしたみたいで、パタパタと屋根を打つ雨のかすかな音と共に、ときどきピカピカ光る稲妻が天井近くの明かり窓を走っているのが見えました。


トラウマと私 08

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